源氏物語 下 (角田光代訳, 池澤夏樹=個人編集 日本文学全集06)
今回は源氏物語 下 (角田光代訳, 池澤夏樹=個人編集 日本文学全集06)を読みました。
長かった源氏物語もついに最終巻となります。
中巻までは光君の最期まで描かれましたが下巻では世代が代わりその後が描かれます。
正直なところ宇治十帖を読み通すのは非常につらく、途中で胃が痛くなりながらなんとか読了することができました。
前・中巻までの華やかな物語とは大きく変わり、完璧ではない人間同士が互いに関わることで生まれる悲しみ、外力に流されるように生きざるを得ない人間の嘆きが繰り返し描かれます。
浮舟の悲劇
宇治十帖の前半では宇治に住む姉妹と薫・匂宮の恋愛が中心に語られます。後半ではその姉妹の腹違いの妹の浮舟が登場し、2人の貴公子の間で思い悩み、入水自殺を図る場面でクライマックスを迎えます。
一人の女性が自分の意思と関係なく身動きできない状況に陥り、誰にも打ち解けて相談もできないうちに、踏みとどまろうかぎりぎりの所で考えた末に事件を起こす様子は読んでいて非常につらかったです。
この悲劇は天から降ってきたものではなく、ちゃんと人間同士の相互作用の力学の結果として書かれていることに読み応えを感じます。著者は非常に丁寧に宇治十帖の序盤から状況を整えています。丁寧すぎて途中で冗長に感じるくらいゆっくりかつ不可逆にストーリーを進めていきます。
物語世界の法則が変わった
浮舟の悲劇は宇治十帖を包む「人間の不完全さ」が積もりに積もった末に起こった出来事として語られます。訳者あとがきで角田光代さんが次のように書いていたのを読み、膝を打って「ほんとこれ!」と思いました。
(薫と匂宮は)しかしながら、女性にかんしては二人とも共通して、光君の系譜にいるのがおかしなくらい、それぞれで不器用で無神経で、無理解で無頓着である。
いや、下巻に出てくる登場人物たちは、いったいに不器用で無神経で、深く悩むわりにはとんちんかんな答えを出したり、ずれた道をつき進んでいく。(P.592)
光の君が存命だった時代からまるで世界のルールが決定的に変わってしまったかのような印象を受けます。
中巻までは、このような人物描写はあったものの、それが強調されるのは一部の人物だけだったと思います。下巻では主要なほぼ全員の人間性がぎこちなく、どこか思いやりに欠けた部分があります。もちろん著者の周到な準備の上での設定です。作品内でも光君の時代と何もかも変わったと繰り返し語られていたことが思い出されます。
主人公の薫でもそうです。基本的に礼儀正しいのに、それが裏目に出て登場する女性達誰一人にも真摯に向き合うことができませんでした。
浮舟について
ここで浮舟について考えてみます。
浮舟が事件に至る過程と心理はかなり丁寧に描写している一方で、彼女の作品内の立ち位置は非常に分かりにくいです。浮舟がどのような心情の末に事件を起こし、そして出家したのかを振り返りながら考えるのがよさそうです。
まずは入水未遂の直前の心情を引用します。
私の気持ちとしてはどちらがどうとも思っていなくて、ただ夢のようにわけもわからず途方にくれているだけ。宮が私のことであんなにも焦っているのを、どうしてこれほどに……とは思うけれど、かといって長いあいだ頼りにしてきた殿と、これきりでお別れしようとは思えない。だからこそ、苦しいほど思い悩んでいるのに……(P.442)
もう一つは身の回りを世話する尼君が不在の際、浮舟が強引に出家した場面です。
とてもすぐには許してもらえそうもなく、また誰もが思いとどめるように言い聞かせた出家を、なんとうれしくも、ついにやり遂げたのだと、女君は、これだけが生きてきた甲斐のあることだと思う。(P.551)
年頃の美しい女性が貴公子二人になびかず、出家に生きてきた甲斐を感じている点は他の女性達と描かれ方が相当違うことが分かります。
角田さんはあとがきで浮舟について、他の女性像のように男性に照らされてはじめて輝く相対的な「個」ではなく、浮舟は自身の諦観をもって初めて独立した「個」を持つ人物だと評しています。
浮舟の特異な人間像を踏まえてyamatakaは一つ疑問に思うことがあります。著者が彼女を他の登場人物と同様に「不完全な人間」の一つの型として描いたのか、あるいは浮舟は「不完全な人間」を乗り越えたのかということです。
著者は物語中で最後まで浮舟を否定も肯定もしません。 著者は沈黙を続けたままこの大長編は薫が出家した彼女の消息を掴んだところで唐突に終わります。その後はどのようにも解釈が可能です。(浮舟が薫を拒み続けて尼として生きるか、こんどは女一の宮が薫・匂宮に挟まれて思い悩み悲劇が起こるかなどなど……)*1
上記の問についても浮舟の行動の是非は読者に委ねられています。
yamatakaは当初は、著者は浮舟を他の登場人物同様に不完全な人間として描いたのではないかと考えました。しかし源氏物語全編を通して女性が男性を頼って生きる様子が描かれていたことを考えると、それに疑問を投げかけるような浮舟の出家が最終盤で描かれたことは女性の生き方をどうにか肯定したい著者の想いがあったように感じてきます。
調和のない未来
宇治十帖の終わり方は象徴的です。
調和のとれた光君の世代の終わりのように、長恨歌の引用で物語の環を閉じるようなこともなく、唐突に、次に何が起こるのか分からない形で幕は下ろされます。調和が崩れた時代を生きなければいけない人間の哀しさを強く感じさせます。
次回は白鯨(メルヴィル)を読む予定です。