ハンターギャザラー(鴻池朋子)
今回はハンターギャザラー(鴻池朋子)を読みました。
著者は現代美術家の鴻池朋子さんの作品集・対談集・エッセイです。
以前にアーティゾン美術館「ちゅうがえり展」にて作品と共に本書の一部が展示されていました。そこでyamatakaは一遍読んですぐに文章に鷲掴みにされました。
その中の著者が狼と遠吠えを交す一遍をもう一度読みたくて、通して読んでみました。
エネルギー変換とは
本書の対談や寄稿を通して見えてくるのは、著者の源泉とそこからの創作についてです。
私のものづくりも、もはや自己表現などという抽象だらけではなく、確かなエネルギー変換に違いありません。しかもこの境界を侵犯してゆきたいという欲望は、人類が誕生した時から止まらないのです。(P.123)
ここでは自己表現という個の表現を否定し、エネルギー変換というまるで自然現象のような言い方をしていてyamatakaはとても面白く感じました。
確かにそうです。著者の作品は動物をモチーフとした神話的な印象を受けるものです。どれも個性的には見えるけど、その目的は個の表現から大きく離れたところにあるということです。
この「エネルギー変換」という考え方は対談にある次の言葉で理解できそうです。
(似たような説明は本書の中で何度も登場します。install/installationのはなし、自然の擬人化/人間の自然化、魂振りと鎮魂。)
三浦 そうすると、こういう「物語るテーブルランナー」のように絵に収まっていくというのもね、同じようにそれで鎮められて、そこで一つ終わる。終わるというのは消えてしまうということではなくて、向こう側とこちらとの関係がきちんと説明されて安定することです。語りにはそういうところがあるのではないかという気がしますね。(P.85)
まとめると著者の作品はエネルギー(人間の存在を超えたもの)を展示場にぎりぎりまで馴染ませて接近させ、エネルギーギャップを作ることなのだと理解できます。
このような感覚*1は、著者のインスタレーションに行ったことのある人ならなんとなく理解できるのではないでしょうか。
エッセイについて
著者のエッセイがまた面白いんです。
芸術家的な批判的な視点を持ち、社会的な名伏とそれによる意味の喪失を嫌い、芯になる感覚を文中にズドンと置いていく。しびれる文章です。*2
本書に収録しているエッセイは多くはないですがどれも読みごたえがあります。
次回は源氏物語 下(池澤夏樹=個人編集)を読みます。
ついに下巻です。楽しみです。