死者の書(折口信夫)

今回読んだのは死者の書(折口信夫)です。

 著者は 前回の記事と同じ民俗学者歌人折口信夫、本書は當麻寺の中将姫説話を元にした小説です。*1

本書は読み解くのが困難であり、浅学なyamatakaには「面白かった」「不思議な読後感です」以上の感想は相応しくないように感じます。

しかしちょっとだけ背伸びをして、自身の考えをまとめたメモの意味も込めて書いていきたいと思います。

yamatakaが読んだのは青空文庫の新字新仮名版です。

www.aozora.gr.jp

 

 

あらすじ

藤原南家で人の世を知らず屋敷の奥で育てられた郎女はある日神隠しにあい寺社の禁域内で見つかる。郎女は罪を自ら贖うことを選び小さな庵で幽閉生活を始める。幽閉当初は虚ろだった郎女の精神は女衆との蓮糸作りや移り行く自然を通じて徐々に変化していく。

 

感想

本作では奈良時代を舞台としつつも神代の空気をひきずる世界観が万葉調の文体で語られます。登場人物全員が執心に捕らわれている中で、唯一精神的な高潔さを持ち徐々に鋭さを増していく主人公郎女の様子は羨ましく感じます。

時系列が入れ込む構成と万葉調の文体は読みにくさの原因となりテーマを難解なものにしていますが、それがかえって作品を魅力的なものにしています。

 

タイトルについて

本書を読んで疑問はたくさん出てきます。

まずタイトルの「死者の書」とはどういったものでしょうか。

チベット仏教での「チベット死者の書」を指しているなら、本書は(ざっくり言うと)解脱の物語ということになるのでしょうか。 

yamatakaは仏教もちろんチベット仏教も詳しくないため、これ以上の意味付けはできません。ただし本書のストーリーは主人公郎女がなんらかの形での解脱する物語である、と考えていい……のではないでしょうか。

 

曼陀羅について

本書はこのように仏教説話のように感じますが、本編中では「目に見える形の信仰」を積極的に肯定する描写がないという点が非常に気になりました。

本編中で最も仏教と関連した場面として、ラストシーンで郎女(姫)が曼陀羅を描いた場面があります。しかし郎女が意図したものは曼陀羅ではなく、周囲の人びとが「曼陀羅に見えた」という体をとっています。

姫の俤びとに貸す為の衣に描いた絵様は、そのまま曼陀羅の相を具えて居たにしても、姫はその中に、唯一人の色身の幻を描いたに過ぎなかった。併し、残された刀自・若人たちの、うち瞻る画面には、見る見る、数千地涌の菩薩の姿が、浮き出て来た。

これらは郎女の卓越した精神性を周囲の人びとが理解するために「曼陀羅」として見なければいけなかったと考えられないでしょうか。

タイトルとの関係を見るならば、この時点で郎女の解脱は完了しているのでしょう。だからこそ具体物しか見ることのできない人々から気づかれずに戸口に消えた。

じゃあその後郎女はどうなってしまったのかという事が気になりますが…残念ながらyamatakaにはいまいちピンと来ません。参考までにWikipediaのあらすじを見てみると「姫は浄土にいざなわれた」と簡便に書かれています。*2

 

疑問点

郎女が嵐の中見た尊者

山嵐の中で郎女が見た尊者の存在はどう解釈すべきでしょうか。郎女が執心の末に見た幻と考えていいのか。空に見える尊者の姿は「阿弥陀ほとけ」を口にした後で消えていく。これは煩悩の現れを表現しているのかもしれないが、しかしこの時の様子を郎女は曼陀羅に描き表します。著者はこの尊者の存在を肯定しているのか否定しているのか掴みにくいです。

あて人を讃えるものと、思いこんだあの詞が、又心から迸り出た。

なも 阿弥陀ほとけ。あなとうと 阿弥陀ほとけ。

瞬間に明りが薄れて行って、まのあたりに見える雲も、雲の上の尊者の姿も、ほのぼのと暗くなり、段々に高く、又高く上って行く。姫が、目送する間もない程であった。

 

姫の「咎」と「贖い」

本編で特に印象的なシーン。「姫の咎は、姫が贖う。」

姫の「咎」と「贖い」の内容がはっきりと語られていませんが、本書のテーマに直結しそうな気はします。「贖い」が上帛を織り曼陀羅を描いたことであれば、対応する「咎」は禁域を犯したことではないと思われます。

「理性で考えず屋敷の奥で生きていたこと」または「この世に生を受けたこと」といったところでしょうか。この点についてもタイトルへのさらなる理解が必要そうです。

ちなみに禁域を犯した咎に対応している贖いは庵での幽閉生活になるはずです。

ところが、郎女の答えは、木魂返しの様に、躊躇うことなしにあった。其上、此ほどはっきりとした答えはない、と思われる位、凛としていた。其が、すべての者の不満を圧倒した。

姫の咎は、姫が贖う。此寺、此二上山の下に居て、身の償い、心の償いした、と姫が得心するまでは、還るものとは思やるな。

 

最後の一文

どのように解釈すればいいのか。印象に残る一文です。

其は、幾人の人々が、同時に見た、白日夢のたぐいかも知れぬ。

 

まとめ

まだ自身の中で実像を結べていない点はありますが、挙げるとキリがないのでこれくらいにしようと思います。

ここまで書いて感じていることは、著者はこの物語を紐解いてもらいたがっている、ということです。本書の論考が載っている「光の曼陀羅」/ 安藤礼二をそのうち読んでみたいと思います。

 

次回は口訳万葉集/百人一首/新々百人一首(池澤夏樹=個人編集 日本文学02)の感想の続きを(ようやっと)書きます。

 

*1:前回の記事を書く際に参考として読み始めたのですが、結局こちらの方が読むのに手間取ってしまいました。

*2:一言で簡単に説明されると悔しいものです。